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權純泰インタビュー2

つづき


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続けて訪れたチャンス

ゴールキーパーというポジションはどのポジションよりも経験が重要だ。しかし新人權純泰に経験と言うものはこれから作って行かなければならないものだから先輩GKの李光錫や成京一が持った経験という武器を超えるのは難しかった。しかしチェガンヒ監督は続けて權純泰にチャンスを与えた。
「本当に監督に感謝しています。僕が監督だったら心配で考えてしまいます。僕に続けてチャンスを与えるというのはちょっと難しい事ですよ。僕は信頼してもらってるんだと思いました。その信頼に応えるために僕がすべきことがあまりにも多かったです。その中で僕が一番自信を持ってできる仕事はグラウンドで最善をつくすことでした。時には失敗してて、失点するかもしれませんが、僕が最善をつくせばその信頼に少しでも報いることができると思います。」
「経験を積み重ねているうちに僕が感たのは経験の大切さでした。特にボールを持った時このボールを早くつなぐか、余裕を持つかの状況判断力が足りないようです。僕はまだ緊張すると視野が狭くなって近くだけでボールを回すようになってしまいます。余裕のない場面ではやはり僕はとても未熟でした。飛び出しも失敗したりすることもあります。たくさん足りないところがあるんです。早く直したいですけど、一日二日に直るのものではないからもっと熱心に練習しなければなりません。」
「それでも試合の時、チーム最年長の崔真[吉吉]さんと金鉉洙さんがいたから僕はとても楽にできました。本当に二人は大きな木のようです。僕はその木陰の中で休めるんですよ。特に真[吉吉]さんは試合中もたくさんアドバイスをしてくれます。僕がコーナーの時に僕の意思をはっきり言えなかったとき、『大きい声で自信を持って指示しなさい』と おっしゃってくださって、ゴールを許してしまった時に落ち込んでいると励ましてくれたりします。そしてミスしたときもちゃんと指摘してくれてアドバイスをくれます。僕はそれがとても参考になります。練習の時も試合のときも力になってくださって、本当にありがたいですね。僕がもっと上手くなって試合中に楽をさせてあげなければならないのに、ミスをしていつも苦労させてしまって申し訳ないです。」


初心を忘れない

『初心を忘れない』が權純泰の人生の座右の銘だ。しかしこの思いが少しずつ崩れる時、權純泰は難関にぶつかるようになった。
「僕がカップ戦のソウル戦と大邱戦でそれぞれ4失点、3失点をしました。失点が多くて諦めてしまいました。先輩達ががんばってくれたので負けはしませんでしたが、僕のミスで負けてしまってもおかしくない試合でした。それで自分にとても失望しました。感情のコントロールもまともにできなかったし準備も充分でなかったんです。僕自分が問題があったからでした。そしてすぐに怪我をしました。」
「城南戦の前の練習で足にけがをしました。本当にその時は涙が出そうで胸が痛かったです。僕はまだレギュラーではないから、城南戦に出るかどうか分からない状況だったし、チャンスが僕の前で消えたということがつらかったです。つらくて僕は今までを一度振り返りました。ずっと試合に出ているうちにいつのまにか初心を失っている自分に気付きました。だから怪我もしたんだと思います。」


心残りそして新しい挑戦

負傷で試合に出ることができなかった權純泰。彼が負傷した後の全北のゴールポストは成京一が守るようになった。そして成京一はKリーグでの活躍を認められて台湾戦を控えた36人の国家代表候補に選ばれた。權純泰も負傷さえなければ、と思うこともあると思いい質問したが、しかし彼の返事は予想しないものだった。
「悔しくなかったら嘘でしょう。僕も夢は国家代表で、お金に変えることができない大切なものです。僕の目標でもあったしプロに来て自分も…と期待しました。しかし時間が経って感じたことが一つありました。」
「僕がどうして選ばれると思ったの?」
「僕が一生懸命やって良い結果が出ていたら選ばれたかもしれないけれど、僕が何もしないのに選ばれたいと思うこと自体がおかしかったです。それで休んでいる間に初心を忘れ怠けていた僕を振り返ることができました。」
「その事を気付かせてくれた(成)京一先輩に感謝しています。また僕が越えなければならない山が増えたという気がしました。最初は悔しかったけれど、今はいい経験です」


僕はまだレギュラーじゃない

今まで權純泰がKリーグで出た試合数は22だ。全北の27試合中22試合も出場したら誰もがレギュラーだと思うだろう。
しかし權純泰自分はまだレギュラーではないと言う。だからやらなければならないことも多くて、現在に満足することができないと…

「僕はまだレギュラーではありません。何故ならば皆同じく競争しているしその競争で生き残るために最善をつくさなければならないでしょう。それで僕が試合に出れば、(李)光錫さんも(成)京一さんも負けずにもっと練習します。実は僕は一軍で一緒に練習しながら試合を見ることができるということ自体が幸せです。そして新人でこんなに試合に出られること自体が光栄です。」
「そして全北のサポーターの皆さんが僕の横断幕を作ってれたのがすごく嬉しくて恐縮してしてしまいます。全北を応援してくださる皆さんのために、また、僕を応援してくれる方々のために、そして幸せな今この瞬間を守るためにはたゆまぬ努力が必要だと思います。それでこそグラウンドで良い姿をお見せすることができると思います。」
「でも今はまだコンディションが完全ではないです。今は70%くらいです。後期リーグでの目標は怪我を治すことです。怪我が治ってたった1試合でもグラウンドに出ることができたら僕はチームとサポーターの信頼に報いるために最善をつくします。」

第2の故郷全州そして全北FC

サッカー選手權純泰に今の成功の元になるところがあるとすれば、全北が縁故にしている全州市だ。そこで、全州とチームに対する愛着について最後に質問し、インタビューを終えた。
「全州に愛着がすごくありますね。中学高校は他の所ですけど、大学から全州で生活して良い人たちにも会えたし、今の僕を作ってくれた所です。僕がみんなに恩返しするには、ラウンドで最善をつくすことで1ゴールも許さないと言う気持ちはチームに対する愛着だと思います。僕はチームが僕を必要だと思ってくれる限り全北にずっといたいです。」
「全北で成功するのが僕の目標だから。」


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がんばれすんて!守護天使權純泰!

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權純泰インタビュー

Kリーグ公式に權純泰のインタビューが来ました。

インタビューより代表よろしく(笑)。


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2006 Kリーグ新星が走る。全北現代權純泰

久しぶりに国語辞典を取り出して謙遜という単語を捜してみた。謙遜という単語の意味は「人を高めて自分を低める態度」。 反意語には傲慢という単語がある。
ふとこの単語を捜してみた理由はとある選手のインタビューを通じて感じた感情をよく表した単語だと感じ、その感情を把握してみるためだ。

權純泰。1984年9月11日生まれ。坡州総合高校から全州大を経て、今年全北に入団した選手で、新人らしくない沈着さが引き立つゴールキーパーだ。まだ若く、夢が多く、そして初心を失わない人が權純泰だ。
「2006 Kリーグ新星が走る」のラストを飾る權純泰選手とのインタビューは 8月11日、全羅北道ワンジュにある全北現代の寮で行われた。


負けず嫌いな子供

全北ホームページで權純泰選手のプロフィールを見ると、最初に「サッカーを始めたきっかけ」とある。そこには「サッカーの上手い友達に負けたくなかった」とある。「サッカーが上手いというのは誰だったのだろうか?」と僕は思った。最初の質問はすぐサッカーを始めたきっかけの話になった。

「僕がサッカーを始めたのは小学校2年生の時でした。サッカー部で練習に出ると、パンと牛乳をもらえて、それを食べるのが大好きでした。それでサッカー部に入ったんです。もちろん両親には内緒でした。ピアノと作文の塾に行くと言って家を出てサッカーをやっていました。もちろん塾では僕が来なかったと家に電話をしましたが、両親は知らん振りをして僕が好きなサッカーをさせてくれました。」
「最初は守備的MFでした。キーパーを始めたは小学校5年生の時です。その時、ある試合でPK戦まで行った時に相手がキーパーを変えてきたんですよ。それで僕は何でそんな事を言ったのか覚えてないんですけど、僕がキーパーをやります!と監督に言ってキーパーをやりました。その試合は相手のキーパーがもよくPKを止めていました。いいキーパーだったんでしょうね。でも僕も運良く2個止めて試合に勝ちました。そして決勝戦でもキーパーで試合に出て頑張ったんです。大会が終わって監督に再び 「守備的MFをやります」と言ったら先生に「もうお前はキーパーだ」と言われました。結局半分強制的にするようになりました。


痛みそして成熟

荒唐だった權純泰の学生時代の話。おかげで和気あいあいした雰囲気で続けることができた。しかし笑いのある話も少しだけで、話は彼が大変だった高校1年の時になった。

「僕は大学に入るまで高いシューズを使うことはただ一度もなかったです。他の人達が高いシューズを一つ買う時、僕は安いシューズをいくつか買って履いていました。何故ならばそのように新語しいものより、もっとたくさん履くことができるし、長く使うことができるから。ところがそれが嫌になったことが1度ありました。それが高校1年の時でした。その頃、父の事業が不渡りになったり、学校の先輩たちと仲が良くなかったり。そんな状況で僕は安いサッカーシューズを履くというのが嫌になりました。それとともにサッカーをする事自体が嫌になりました。自然にプレーも疎かになりました。」
「しかし僕が熱心にサッカーをしていると信じていた父さんが、僕のひねくれた姿を見て倒れました。それまで僕にとって父の存在はとても大きく見えて頼もしかったが、倒れた後の父はとても小さく見えて…。その姿を見た時、とても後悔しましたし、もう一度熱心にしなくちゃいけないと思いました。そしてそれでも両親は僕を信じてくれました。その信頼がなかったら今ここにいないと思います。」


ユース代表で得た成長

權純泰という名前が知られるようになったきっかけはユース代表に選ばれたことだった。しかし当時ユース代表には金永光、廉東均という不動のメンバーがいて、權純泰はこれらに押されて控えに甘んじなければならなかった。だから良い思い出より、心残りが多いかと思われた。しかし、むしろ權純泰にとってその時代は成長するのに最大の助けになった時期だったという。
今の權純泰が作られた原動力が、やはり『謙遜』と『努力』だともう一度感じらせてくれた。

「ユース代表に選ばれたこと自体が光栄でした。今思い出してもぞくそくしますよ。僕は足りない事があまりにも多くて、ユース代表のキーパーコーチのキム・プンジュ先生にすがってばかりでした。その時先生が僕をよく見てくれるかどうか分からなくても、基本からまた学ぶことができました。本当にキム・プンジュ先生がよく教えてくれて、本当に学ぶこと自体がとても楽しかったし、良い選手に成長することができるターニングポイントだったと思います。」
「そして 永光兄さんのプレーを見て自分の足りないところを知り、学ぶことも出来ました。ユース代表で一緒にやって、特に学んだのが永光兄さんのプレーの執念と根性でした。永光兄さんを見て僕も成長できたと思うし、(試合に出られない)挫折も経験して、今のプロにいる自分があると思います。」


ジョン・ジンヒョク監督の信頼

誰にでも信頼されるは難しい。だから一人の信頼は大事だろう。その信頼はその人が生きて行くのに多くの勇気になり、モチベーションになる。
權純泰もその自分を信じてくれる一人のため立派なサッカー選手に成長することができたし、モチベーションを持つことができた。權純泰に信頼をプレゼントした人は全州大のチョン・ジンヒョク監督だった。

「チョン・ジンヒョク先生は僕には父のような方です。特に先生が僕を信頼してくれました。僕を信頼してくれたから言ってくれたと思います。そして僕はその信頼を裏切りたくなくて、熱心に練習したし、僕が尋ねながら学んびました。」
「よく考えて見て、僕を導いてくださって、正しくない道に行っていれば正しい道を導いてくださった方です。」
「僕はキーパーとしては背の低いのががコンプレックスでしたが、それも気にならなくなりました。監督が僕に「背が高かろうが低かろうがそれがなんだと言うんだ。球が来れば大きい選手は倒れながら取るのなら、お前は走って取ればいい。そしてジャンプ力を生かして制空権を取れば良いだろう?」と言ってくれたんです。それで僕はキーパーは背が高くなければならないという思い込みに苦しまなくなったし、いつも不満だった身長も考えなくなりましたす。今はこれでいいと思っています。」


プロ入団そして初出場

目標。誰でも具体的な目標が設定されている。權純泰の目標はプロになることだった。ジョン・ジンヒョク監督の信頼の下、權純泰はますます成長した。
そしてそんな彼を獲得しようとするクラブが現れた。全北FCだった。

「僕の目標はプロになることでしたが、夢が叶ってよかったです。そして僕がプロに行くとき、両親にこう言いました。『僕は、1年、2年だけでも本当に後悔しないです。たとえだめだと言っても笑いながら行きます』と言ったんです。そして周囲はとても大変だと言うが、僕は『若いのだから、チャレンジしてみよう』 という気持ちでプロに来ました」

後悔しないと言う固い決意の下、以前にもまして努力を重ね、そしていよいよプロの舞台に立つチャンスが訪れた。3月15日三星ハウゼンKリーグ第2節ソウルとの試合、場所は韓国サッカーの聖地(訳者:納得いかねえ。なくなっても韓国サッカーの聖地は東大門だい)ソウル上岩ワールドカップ競技場だった。何よりも興奮する事は対決する相手キーパーが、Kリーグのの生きる伝説、キム・ビョンジだったことだ。
「試合の前日の夕方にドクターが、『スンテ、明日はお前が出るぞ』って言うんです。僕は着たばかりの新人です。本当だなんて思えないでしょう?それで僕が『嘘をつかないでくださいよ、賭けましょうか?』と言ったんです。そしたら翌日の試合前のミーティングでスタメンのメンバーを見たら一番上に僕の名前があるんです。それを見た瞬間信じられなかったです。そして僕の胸はどきどきしてそうぢようもなかったです。」
「本当に変なんですけど、ピッチに入って、グラウンドを見たら、安定して心が楽になりました。あの時考えたのは『チャンスをくれた監督に感謝して、その気持ちを最善をつくす姿で見せよう』ということでした。そして試合に出た先輩達にも感謝しました。本当に楽をさせてくれて、前で積極的にプレスして、完璧な守備をしてくれました。そして相手のキーパーがキム・ビョンジ選手でした。TVで見た選手たちばかりのピッチにに立っていることそのものが光栄でした。」

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つづく

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オールスター

えーと崔真[吉吉]とポティがでてたようですが、そんなことより。

リレーで優勝しました!

やった!すげえ嬉しいタイトル(笑)。
03年以来2度目のタイトルです。

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またおさがり。

昨年(?今年の7月?)、蔚山をクビになった韓済光(青丘高)を獲得した模様。85年生まれか。
蔚山にはビタ一文払う必要ないんだよね(笑)。

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がんばれ!キムテジン!

7月31日を持ちまして、今年のKリーグ追加登録は打ち切られましたが、最終日に水原から出てきた名前が実に意外な名前でした。

キム・テジン(江陵市庁)。

うわー!テジンじゃないの!!
江陵農高から全北に入団し、そのプレーで一部を期待させたものの(期待したんだよ!)、結局全南に金銭トレード、そこでも花咲かず、実業団の江陵市庁でプレーしていましたが。

K復帰!です。

もうほんとに少ないんだよ、一度Kから実業団に落ちた子で帰ってきた子って本当に少なくて、今も考えてるんだけど思い出せないくらい少ないんだよ。あの国は肩書きにうるさいから、一度ダメの烙印押されると這い上がってくるの本当に大変なんだよ。あめでとう、おめでとう、テジン。大嫌いな水原でもいい。がんばって!活躍して!

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