眼鏡男子

Jj
JJって眼鏡男子だったんですね…
なんかまだ目が死んでます。いつ復活するんでしょうか…

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えふえー

今年のFA権取得選手。

金鉉洙
鄭鐘寛
金仁鎬
李応帝
田廣煥
趙星俊
張朝潤
金萬喜

今年の新人は1年でFA取れるのね。
キムヒョンスは秋のキャンプで先頭走ってたので多分残留(どういう根拠だw)。

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ジンチョルパパありがとう。

チェジンチョルが引退を表明したようです。このへん

実は初めて見たのは代表ででした。フランス予選で、DFのバックアップのバックアップで合宿に呼ばれてたパパは、所在なげ~に見えました。そりゃそうだよなあ、特に親しい人もいないしとか思ってみてました。

その後はやっぱりドフンさんが神戸に行ってからのFW(笑)。いやでもどっしり真ん中にいてくれたから面白かった。右をじぇそぷ、左をうんちょるさんがあがってってね。すごく面白かった。背中トラップとかなww

DFに戻っても、練習試合でFWが怪我したらFWに上がったりもしました。

02年に代表に呼ばれて(これはフランスのときにどんなに出番なくても呼ばれてたおかげだよなあ。ありがとう車パパ)、なんかすごい人になってしまったわけですが。
でもやっぱり奥さんには尻に敷かれてて笑った。代表戦の翌日に全北戦を家族で見にきたはいいけど、子守も荷物運びもみーんなパパがやってたなwwまだその頃は本大会の前だからみんな生暖かく見てたしなw

いろいろ思うことも言いたいこともあった。微妙に抜けてることも多くて永遠の青二才だったww
だんだんお休みタイムが長くなっていくのが見ていてつらかった。でも、正直03年くらいで引退すると思ってたから、本当にがんばってくれた。全北はなかなか若いCB育たないし、いいなと思えば売るし。パパも安心して引退できなかったよな。

ありがとうパパ。お疲れ様でした。
あんまりお話したことがなかったのはパパのチェジュ語を警戒したわけじゃないのよ(笑)。

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ひょんぼまかわいそw

先日、モデルさんとの交際を報道された金ヒョンボムですが、その翌日に相手のモデルさんから「ただの友達」とコメントが来ました。

かわいそw

でもなあ、ペクチユンとJJも最初はただの友達って言ってたのに実際は付き合ってたし、まだわかんないな。

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えーと。

Photo

…まあいいや。きょんほ結婚おめでとう。
ちそんとお幸せにね。あれ?

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プロ入り11年目を迎えた全北のビョンジェソプが後輩たちに助言を惜しまなかった。

Photo_2
-全北に戻るになったきっかけは何か?

両チーム監督の合議の下にトレードになりました。
済州のチョンヘソン監督が選手生活の最後を全北でできるように気配りしてくださったようです。

- チームに合流してなじむのに難しいことはないか?

以前在籍したチームだから大変ではないけれど、スタッフも選手もたくさん変わってしまっています。僕が全北にいた頃の選手はキムヒョンスとチェジンチョルしかいません。
そしてチェカンヒ監督とは初めてなので監督のスタイルに適応できるかどうかで一年が決まるでしょう。

- 今シーズンはチョンガンファン、キムインホ、チェチョルスンなど後輩たちとポジション争いをすることになるが?
どこでもポジション争いはしなければならないことです。
監督のスタイルに適応して若い選手たちを支えるという気持ちで準備すればチャンスはあると思います。

- 昨シーズンは交代することが多かったか?
ベテランなのでチョンヘソン監督が体力の低下を気にしてくださったようです。 しかしまだまだ大丈夫ですよ。

- 通算13ゴール25アシストを記録中ですね。20ゴールを目指しますか?

僕はDFだからなかなかゴールは難しいです。しかし努力して記録を狙いたいです。

- 済州で背番号99番をつけていたがその理由は?全北でも 99番をつけますか?

全北では特に背番号を指定しませんでした。済州で99番をつけた理由は、移籍した当時ここで終わると思って最後の登録番号である99番にしました。それと、1999年度に9番でアシスト王を受賞して9という数字でゲンかつぎをしました。でも、また移籍したので新しい番号をつけるつもりです。

- 今年でプロ11年目を迎えたが。

以前はプロ生活を10年送れば長いと思われたが今はそうではないです。ベテランも多くて10年以上選手生活を贈っている選手も多い。とにかく身体管理がよくして後輩たちに良い姿を見せることだけが僕にできる仕事です。

- 今まで Kリーグで一度も退場したことがないが、秘訣はあるのか?

特別な秘訣はなく、どうせ同じプロ選手なのだから相手選手にも気を使うべきだと思います。もちろん故意に相手にけがをさせる選手はいませんが、同業者なのだから気を付けながら競技をしなければならないと思います。
そうすれば、自分も相手も怪我をせず良いプレーにつながります。

- 済州に移籍する前にACWCには出場した経歴があるがACLには初出場だが?

去年全北はACLを制したがKリーグでの成績は良くなかったです。
今年もACLは重要な大会ですが、Kリーグでも良い成績をおさめなければなりません。

- 10年を顧みる時一番いい事と残念な事を選んだら?

良いことは1999年にアシスト王を獲得したのが一番です。
そして残念なことは今年全北にまた来るようになったが、3年前もう少し努力して移籍しないでチームに残ったらもっと良かったのかもしれないと思います。

- 今年シーズンの個人的な目標は?

個人的な目標はなくてチームの役に立ってて試合に出られればいいです。
そしてファンに良い姿を見せてくれるのが僕の小さな目標です。

公式から持ってきましたけど、出所は別だろう(笑)。
がんばれジェソプ。ようやく家族みんなで暮らせるし。

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ヨムギフンインタビュー

韓国に行こう」さんで、ヨムギフンのインタビューの翻訳載せてます。

韓国に行こう>Players file>廉基勳/ヨムギフン(全北) です。

いやー、私やろうかと思ってたけど、先にやってくれた人がいたので(笑)。
そういやチョジンスのインタビュー、結局翻訳しそこないました…(あったんだよ、夏くらいに(笑))。
まあチェジュの選手になったから活躍したらしるこさんが翻訳してくれるかも>チョジンス(笑)。

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權純泰インタビュー2

つづき


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続けて訪れたチャンス

ゴールキーパーというポジションはどのポジションよりも経験が重要だ。しかし新人權純泰に経験と言うものはこれから作って行かなければならないものだから先輩GKの李光錫や成京一が持った経験という武器を超えるのは難しかった。しかしチェガンヒ監督は続けて權純泰にチャンスを与えた。
「本当に監督に感謝しています。僕が監督だったら心配で考えてしまいます。僕に続けてチャンスを与えるというのはちょっと難しい事ですよ。僕は信頼してもらってるんだと思いました。その信頼に応えるために僕がすべきことがあまりにも多かったです。その中で僕が一番自信を持ってできる仕事はグラウンドで最善をつくすことでした。時には失敗してて、失点するかもしれませんが、僕が最善をつくせばその信頼に少しでも報いることができると思います。」
「経験を積み重ねているうちに僕が感たのは経験の大切さでした。特にボールを持った時このボールを早くつなぐか、余裕を持つかの状況判断力が足りないようです。僕はまだ緊張すると視野が狭くなって近くだけでボールを回すようになってしまいます。余裕のない場面ではやはり僕はとても未熟でした。飛び出しも失敗したりすることもあります。たくさん足りないところがあるんです。早く直したいですけど、一日二日に直るのものではないからもっと熱心に練習しなければなりません。」
「それでも試合の時、チーム最年長の崔真[吉吉]さんと金鉉洙さんがいたから僕はとても楽にできました。本当に二人は大きな木のようです。僕はその木陰の中で休めるんですよ。特に真[吉吉]さんは試合中もたくさんアドバイスをしてくれます。僕がコーナーの時に僕の意思をはっきり言えなかったとき、『大きい声で自信を持って指示しなさい』と おっしゃってくださって、ゴールを許してしまった時に落ち込んでいると励ましてくれたりします。そしてミスしたときもちゃんと指摘してくれてアドバイスをくれます。僕はそれがとても参考になります。練習の時も試合のときも力になってくださって、本当にありがたいですね。僕がもっと上手くなって試合中に楽をさせてあげなければならないのに、ミスをしていつも苦労させてしまって申し訳ないです。」


初心を忘れない

『初心を忘れない』が權純泰の人生の座右の銘だ。しかしこの思いが少しずつ崩れる時、權純泰は難関にぶつかるようになった。
「僕がカップ戦のソウル戦と大邱戦でそれぞれ4失点、3失点をしました。失点が多くて諦めてしまいました。先輩達ががんばってくれたので負けはしませんでしたが、僕のミスで負けてしまってもおかしくない試合でした。それで自分にとても失望しました。感情のコントロールもまともにできなかったし準備も充分でなかったんです。僕自分が問題があったからでした。そしてすぐに怪我をしました。」
「城南戦の前の練習で足にけがをしました。本当にその時は涙が出そうで胸が痛かったです。僕はまだレギュラーではないから、城南戦に出るかどうか分からない状況だったし、チャンスが僕の前で消えたということがつらかったです。つらくて僕は今までを一度振り返りました。ずっと試合に出ているうちにいつのまにか初心を失っている自分に気付きました。だから怪我もしたんだと思います。」


心残りそして新しい挑戦

負傷で試合に出ることができなかった權純泰。彼が負傷した後の全北のゴールポストは成京一が守るようになった。そして成京一はKリーグでの活躍を認められて台湾戦を控えた36人の国家代表候補に選ばれた。權純泰も負傷さえなければ、と思うこともあると思いい質問したが、しかし彼の返事は予想しないものだった。
「悔しくなかったら嘘でしょう。僕も夢は国家代表で、お金に変えることができない大切なものです。僕の目標でもあったしプロに来て自分も…と期待しました。しかし時間が経って感じたことが一つありました。」
「僕がどうして選ばれると思ったの?」
「僕が一生懸命やって良い結果が出ていたら選ばれたかもしれないけれど、僕が何もしないのに選ばれたいと思うこと自体がおかしかったです。それで休んでいる間に初心を忘れ怠けていた僕を振り返ることができました。」
「その事を気付かせてくれた(成)京一先輩に感謝しています。また僕が越えなければならない山が増えたという気がしました。最初は悔しかったけれど、今はいい経験です」


僕はまだレギュラーじゃない

今まで權純泰がKリーグで出た試合数は22だ。全北の27試合中22試合も出場したら誰もがレギュラーだと思うだろう。
しかし權純泰自分はまだレギュラーではないと言う。だからやらなければならないことも多くて、現在に満足することができないと…

「僕はまだレギュラーではありません。何故ならば皆同じく競争しているしその競争で生き残るために最善をつくさなければならないでしょう。それで僕が試合に出れば、(李)光錫さんも(成)京一さんも負けずにもっと練習します。実は僕は一軍で一緒に練習しながら試合を見ることができるということ自体が幸せです。そして新人でこんなに試合に出られること自体が光栄です。」
「そして全北のサポーターの皆さんが僕の横断幕を作ってれたのがすごく嬉しくて恐縮してしてしまいます。全北を応援してくださる皆さんのために、また、僕を応援してくれる方々のために、そして幸せな今この瞬間を守るためにはたゆまぬ努力が必要だと思います。それでこそグラウンドで良い姿をお見せすることができると思います。」
「でも今はまだコンディションが完全ではないです。今は70%くらいです。後期リーグでの目標は怪我を治すことです。怪我が治ってたった1試合でもグラウンドに出ることができたら僕はチームとサポーターの信頼に報いるために最善をつくします。」

第2の故郷全州そして全北FC

サッカー選手權純泰に今の成功の元になるところがあるとすれば、全北が縁故にしている全州市だ。そこで、全州とチームに対する愛着について最後に質問し、インタビューを終えた。
「全州に愛着がすごくありますね。中学高校は他の所ですけど、大学から全州で生活して良い人たちにも会えたし、今の僕を作ってくれた所です。僕がみんなに恩返しするには、ラウンドで最善をつくすことで1ゴールも許さないと言う気持ちはチームに対する愛着だと思います。僕はチームが僕を必要だと思ってくれる限り全北にずっといたいです。」
「全北で成功するのが僕の目標だから。」


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がんばれすんて!守護天使權純泰!

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權純泰インタビュー

Kリーグ公式に權純泰のインタビューが来ました。

インタビューより代表よろしく(笑)。


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2006 Kリーグ新星が走る。全北現代權純泰

久しぶりに国語辞典を取り出して謙遜という単語を捜してみた。謙遜という単語の意味は「人を高めて自分を低める態度」。 反意語には傲慢という単語がある。
ふとこの単語を捜してみた理由はとある選手のインタビューを通じて感じた感情をよく表した単語だと感じ、その感情を把握してみるためだ。

權純泰。1984年9月11日生まれ。坡州総合高校から全州大を経て、今年全北に入団した選手で、新人らしくない沈着さが引き立つゴールキーパーだ。まだ若く、夢が多く、そして初心を失わない人が權純泰だ。
「2006 Kリーグ新星が走る」のラストを飾る權純泰選手とのインタビューは 8月11日、全羅北道ワンジュにある全北現代の寮で行われた。


負けず嫌いな子供

全北ホームページで權純泰選手のプロフィールを見ると、最初に「サッカーを始めたきっかけ」とある。そこには「サッカーの上手い友達に負けたくなかった」とある。「サッカーが上手いというのは誰だったのだろうか?」と僕は思った。最初の質問はすぐサッカーを始めたきっかけの話になった。

「僕がサッカーを始めたのは小学校2年生の時でした。サッカー部で練習に出ると、パンと牛乳をもらえて、それを食べるのが大好きでした。それでサッカー部に入ったんです。もちろん両親には内緒でした。ピアノと作文の塾に行くと言って家を出てサッカーをやっていました。もちろん塾では僕が来なかったと家に電話をしましたが、両親は知らん振りをして僕が好きなサッカーをさせてくれました。」
「最初は守備的MFでした。キーパーを始めたは小学校5年生の時です。その時、ある試合でPK戦まで行った時に相手がキーパーを変えてきたんですよ。それで僕は何でそんな事を言ったのか覚えてないんですけど、僕がキーパーをやります!と監督に言ってキーパーをやりました。その試合は相手のキーパーがもよくPKを止めていました。いいキーパーだったんでしょうね。でも僕も運良く2個止めて試合に勝ちました。そして決勝戦でもキーパーで試合に出て頑張ったんです。大会が終わって監督に再び 「守備的MFをやります」と言ったら先生に「もうお前はキーパーだ」と言われました。結局半分強制的にするようになりました。


痛みそして成熟

荒唐だった權純泰の学生時代の話。おかげで和気あいあいした雰囲気で続けることができた。しかし笑いのある話も少しだけで、話は彼が大変だった高校1年の時になった。

「僕は大学に入るまで高いシューズを使うことはただ一度もなかったです。他の人達が高いシューズを一つ買う時、僕は安いシューズをいくつか買って履いていました。何故ならばそのように新語しいものより、もっとたくさん履くことができるし、長く使うことができるから。ところがそれが嫌になったことが1度ありました。それが高校1年の時でした。その頃、父の事業が不渡りになったり、学校の先輩たちと仲が良くなかったり。そんな状況で僕は安いサッカーシューズを履くというのが嫌になりました。それとともにサッカーをする事自体が嫌になりました。自然にプレーも疎かになりました。」
「しかし僕が熱心にサッカーをしていると信じていた父さんが、僕のひねくれた姿を見て倒れました。それまで僕にとって父の存在はとても大きく見えて頼もしかったが、倒れた後の父はとても小さく見えて…。その姿を見た時、とても後悔しましたし、もう一度熱心にしなくちゃいけないと思いました。そしてそれでも両親は僕を信じてくれました。その信頼がなかったら今ここにいないと思います。」


ユース代表で得た成長

權純泰という名前が知られるようになったきっかけはユース代表に選ばれたことだった。しかし当時ユース代表には金永光、廉東均という不動のメンバーがいて、權純泰はこれらに押されて控えに甘んじなければならなかった。だから良い思い出より、心残りが多いかと思われた。しかし、むしろ權純泰にとってその時代は成長するのに最大の助けになった時期だったという。
今の權純泰が作られた原動力が、やはり『謙遜』と『努力』だともう一度感じらせてくれた。

「ユース代表に選ばれたこと自体が光栄でした。今思い出してもぞくそくしますよ。僕は足りない事があまりにも多くて、ユース代表のキーパーコーチのキム・プンジュ先生にすがってばかりでした。その時先生が僕をよく見てくれるかどうか分からなくても、基本からまた学ぶことができました。本当にキム・プンジュ先生がよく教えてくれて、本当に学ぶこと自体がとても楽しかったし、良い選手に成長することができるターニングポイントだったと思います。」
「そして 永光兄さんのプレーを見て自分の足りないところを知り、学ぶことも出来ました。ユース代表で一緒にやって、特に学んだのが永光兄さんのプレーの執念と根性でした。永光兄さんを見て僕も成長できたと思うし、(試合に出られない)挫折も経験して、今のプロにいる自分があると思います。」


ジョン・ジンヒョク監督の信頼

誰にでも信頼されるは難しい。だから一人の信頼は大事だろう。その信頼はその人が生きて行くのに多くの勇気になり、モチベーションになる。
權純泰もその自分を信じてくれる一人のため立派なサッカー選手に成長することができたし、モチベーションを持つことができた。權純泰に信頼をプレゼントした人は全州大のチョン・ジンヒョク監督だった。

「チョン・ジンヒョク先生は僕には父のような方です。特に先生が僕を信頼してくれました。僕を信頼してくれたから言ってくれたと思います。そして僕はその信頼を裏切りたくなくて、熱心に練習したし、僕が尋ねながら学んびました。」
「よく考えて見て、僕を導いてくださって、正しくない道に行っていれば正しい道を導いてくださった方です。」
「僕はキーパーとしては背の低いのががコンプレックスでしたが、それも気にならなくなりました。監督が僕に「背が高かろうが低かろうがそれがなんだと言うんだ。球が来れば大きい選手は倒れながら取るのなら、お前は走って取ればいい。そしてジャンプ力を生かして制空権を取れば良いだろう?」と言ってくれたんです。それで僕はキーパーは背が高くなければならないという思い込みに苦しまなくなったし、いつも不満だった身長も考えなくなりましたす。今はこれでいいと思っています。」


プロ入団そして初出場

目標。誰でも具体的な目標が設定されている。權純泰の目標はプロになることだった。ジョン・ジンヒョク監督の信頼の下、權純泰はますます成長した。
そしてそんな彼を獲得しようとするクラブが現れた。全北FCだった。

「僕の目標はプロになることでしたが、夢が叶ってよかったです。そして僕がプロに行くとき、両親にこう言いました。『僕は、1年、2年だけでも本当に後悔しないです。たとえだめだと言っても笑いながら行きます』と言ったんです。そして周囲はとても大変だと言うが、僕は『若いのだから、チャレンジしてみよう』 という気持ちでプロに来ました」

後悔しないと言う固い決意の下、以前にもまして努力を重ね、そしていよいよプロの舞台に立つチャンスが訪れた。3月15日三星ハウゼンKリーグ第2節ソウルとの試合、場所は韓国サッカーの聖地(訳者:納得いかねえ。なくなっても韓国サッカーの聖地は東大門だい)ソウル上岩ワールドカップ競技場だった。何よりも興奮する事は対決する相手キーパーが、Kリーグのの生きる伝説、キム・ビョンジだったことだ。
「試合の前日の夕方にドクターが、『スンテ、明日はお前が出るぞ』って言うんです。僕は着たばかりの新人です。本当だなんて思えないでしょう?それで僕が『嘘をつかないでくださいよ、賭けましょうか?』と言ったんです。そしたら翌日の試合前のミーティングでスタメンのメンバーを見たら一番上に僕の名前があるんです。それを見た瞬間信じられなかったです。そして僕の胸はどきどきしてそうぢようもなかったです。」
「本当に変なんですけど、ピッチに入って、グラウンドを見たら、安定して心が楽になりました。あの時考えたのは『チャンスをくれた監督に感謝して、その気持ちを最善をつくす姿で見せよう』ということでした。そして試合に出た先輩達にも感謝しました。本当に楽をさせてくれて、前で積極的にプレスして、完璧な守備をしてくれました。そして相手のキーパーがキム・ビョンジ選手でした。TVで見た選手たちばかりのピッチにに立っていることそのものが光栄でした。」

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つづく

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子どもは残酷。

先日の水原戦で李弦昇が17歳5ヶ月でのKリーグ最年少ゴールを記録したそうです。おめでとうヒョンスン。

で、コメント。
「ジョンギョムおじさんが、いいクロスを上げてくださってゴールできました。得点直後は分からなかったのですが、新記録ですって!自分の手で何かを達成したようで、言葉にならないほど嬉しいです」

ジョンギョムおじさん=金正謙。30歳、先日1児の父になったばかり。

子どもは…これだもん、崔真[吉吉]なんかどうひっくりかえってもおじさんだよなあ。おじさん

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全州城の隠れた仕事人、 全北現代鄭鐘寛2

つづき

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冬季キャンプの課題はなんですか?

僕の長所はみんなが言うのは、スピード、機動力があって、攻撃的な動きです。短所はさっきも言ったようにパス。監督が「お前はあとパスがうまくなれば」といつも言うんですよ。パスと言われると帰りたくなります(笑)。パスはいつも気を使いますよ。ウェートもしっかりやります。

初めてサッカーを始めるようになったきっかけはなんですか?

小さい頃は、サッカーが大好きでサッカーをしに朝出て夜帰ってきました。 友達と町内サッカーで10時間以上走り回っていました。そのくらいサッカーが好きでしたが、あるとき学校にほかの学校でサッカー部の監督をされている方がいらっしゃいました。僕にサッカーをする気はないかと聞くので、僕は無条件やりたいと言いました。両親に許しを得なければならなくて、母にサッカーをするために転校しなければならないと言ったらすぐに「言ってらっしゃい」と言われ、鎭海中央小学校から徳山小学校に転校してサッカーを始めたんです。

サッカー始める時ご両親は反対しなかったんですか?

両親は僕が生まれる時山の上に太極旗が飜る夢を見たそうです。僕がとても運動が好きだったから両親が胎夢を思いだして運動をさせないといけないと思ったようです。それでサッカーをしに転校すると言ったときも許してくれました。

ユニバーシアード代表、大学選抜などで活躍した大学時代の事も教えてください

大学時代も楽しかったです。03年の大邱でのユニバーシアードで、選手たちも皆仲が良くて、成績も2勝1敗でしたが予選脱落でした。イタリアがタイに負けて、落ちたんです。タイは本当に弱かったんですよ(笑)。ところがイタリアがタイに負けたんです。僕たちとイタリアは予選の最終戦に引き分け以上で抜けたのに、負けたんです。韓国、タイ、イタリアが全チームとも2勝1敗で、得失点差で予選敗退でした。あの時はすごく落ち込みました。その後は連勝して7勝1敗でした。デンソーカップでは僕たちが3年ぶりに日本に勝ちました。

最近は高校卒業後にすぐプロに入団する選手が多いですが、高校卒業する時にプロ入りは考えましたか?

少しは考えました。今全北でヘッドコーチをしているイ・フンシルコーチが高校の時の監督で、監督が崇実大に行くように決めました。僕が決めるより正しいと思ったからです。崇実大はサッカー部がさかんな学校でした。

崇実大から全北に入団するようになったきっかけはなんですか?

2年の時に話がありましたが、監督と一緒にやりたくて残りました。でも、3年の時に監督が変わって、僕もプロに行きました。今のユンソンヒョ監督が1年やらないかと言ってくれたんですが、「僕の夢を広げるためにプロに行きたいです」と言ったら認めてくれました。そして監督が「積極的に探してやるからプロで頑張りなさい」といってくれたんです。そこで、全北のスカウトが僕を見てくれていて、それで全北に入団しました。

あまり身長が高くないですが、サッカー選手として乗り越えることができた秘訣は何でしょうか?

いつも僕のように小さな選手にはそのことに対する質問が必ずあります。体が大きい選手と同じプレーをしようと思ったら不利です。でも、うちの監督やコーチはみんな小さいんですよね(笑)。体でサッカーをするのではないから、僕はあまり気にしないです。僕の長所であるスピードを最大限に生かして体の小ささを補えば、いくらでも戦えると思います。ポジショニングを間違えなければ、180cm 以上の相手と競り合ってもヘディングでも勝てます。僕は小さいことを不利だと思ってないです。

ライバルや学びたい選手はいますか?

特別に誰がライバルというのではではなく、皆がライバルです。みんな素晴らしいからプロに来たんです。Kリーグの選手はすべてライバルです。僕も国家代表を目標にしているから代表になるためには皆がすべてライバルです。学びたい人は監督やコーチです。アドバイスをよく聞いて、努力すればいくらでもよくすることができると思っています。

一番記憶に残る試合はどれですか?

やっぱり優勝した FAカップです。高校でも大学でも優勝しましたけど、プロでの優勝は意味が違いますね。優勝できなくて引退する選手も多いのに早く優勝できてとても嬉しく思っています。今年はリーグもあって、ACLもあって試合が多いです。すべて優勝したいです。

ACL経験は一度ありますね。

僕がプロに入った一年目に参加しました。良い経験でした。アラブに行って、Kリーグにでて、また飛んで、すごく大変だったです(笑)。今度は近い国々とするから楽です。

ACLで対戦するチームの戦力把握はどのようにするんですか?

ビデオを見て研究します。何も分からなくて試合は出来ないです。

やりがいを一番感じたのはいつですか?

オリンピック代表候補になったときです。ユース代表には縁がなくて、後から入っていったのですごくがんばろうと思いました。僕もいろいろ回り道もしました。うまくいかなくて両親に心配をかけたりもしました。でも、プロになって活躍して、両親に贈り物が出来たようなやりがいを自分でも感じます。

それなら一番大変だった時はいつでしたか?

学生の頃は、遊びたい気持ちを抑えてサッカーをするのが大変でした。サッカー選手だけでなくすべての人があの頃遊びたい気持ちを我慢してがんばればいい結果が出ると思います。大学の時もとても大変で合宿所から逃げ出したことがあります。その時に両親のことを考えました。両親はとても苦労して僕を育ててくれたのに、僕は少し大変だからと逃げてしまってはいけないと思って戻りました。
帰ると、監督にしかられて、軽く叩かれましたが、「これからお前が努力すれば、素晴らしい選手になることができるから、難しい時は逃げないで相談しに来なさい」と言ってくれました。言えばいつでも休むようにしてくださると… 僕達が間違っていました。ただ大変だと思って逃げてしまっただけでしたから。

大学に行かなかった選手たちは大学生活を羨むこともあるようですが。

全然そうではないと思います(笑)。僕はMTやOTに一度も行きませんでした。今は授業に行くようですけど、僕は全然行きませんでした。大学の時に試合に行くために教授にあいさつしに行ったのですが、そこにちょうど外国人の先生がいて…(笑)。僕達に通訳をしてみろと言って来たんです。大学生なのにできなくて恥をかいたことがあります。

最近の全北の雰囲気はどうですか?

プロで選手の入れ替わりがあるのは毎年の事です。ずっといつも団体生活に適応して来たから問題ないです。監督の考え方が、練習は練習、プライベートはプライベートで、生活に口を出したりしないです。雰囲気は本当に家族的です。

外国人選手たちとも仲がいいですか?

はい。すごく仲がいいです。特にエドミルソン選手は本当に立派な選手です。あの年齢であれほどできるというのが本当にすごいと思うんですよ。ベテランで大きな怪我から回復して来て本当にすごいと思うし、かっこいいと思います。

今後の目標を教えてください。

僕だけでなくすべての選手たちの目標は代表選手になることが夢です。子供の頃から、06年のワールドカップに行きたいと思っていましたが、それは難しそうで残念です。僕はまだ遠かったなと思います。もっとがんばって代表に入ることが僕の目標です。そして今年はKリーグもAFC チャンピオンスリーグもみんな優勝したいです。 監督の指示をよく守ったら優勝するのは問題ないと思います。冬季キャンプをよく終えれば多分変わった姿を見せられるでしょう。そして全北ファン、サポーターたちと楽しい時間を過ごすことができると思います。


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進路を監督が決めちゃうのか(笑)。
あと、ACL。勝ったらアラブだかんな(笑)。
まあ、誰とは言いませんがアジアの大会では素で「僕達がどうして清水と試合するの?」といった人もいますからねー。

しかし、受け答えがとても真面目でした。ええ、金正謙に「正謙兄さん、大すきー」などとちゅーをせまってる人と同一人物とは思えません。

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全州城の隠れた仕事人、 全北現代鄭鐘寛1

K公式に鄭鐘寛のインタビューがありましたので、ご紹介。
本文こちら
あいかわらず意訳超訳気味。
引用なんですが(以下略)。
ではどーぞ。

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全州城の隠れた仕事人、 全北現代鄭鐘寛

たとえ小さな体でも、爆発的な力でピッチを走り回る鄭鐘寛(25)。全北の要として、FAカップ優勝の立役者となり、シーズン下位に低迷した全北に新しい力を吹き入れてファンの期待と関心を一身に受けた。「本物のプロ」としてのプライドを持っている鄭鐘寛は期待に応じるために新しいシーズンを控えて玉の汗を流す覚悟を強くした。

自分の夢に向けていつも努力するまじめな選手。これからの活躍が期待される「全北の隠れた仕事人」鄭鐘寛を 1月 13日全北選手団の寮に訪ねた。

オフはどのように過ごしましたか?

FAカップに優勝したじゃないですか。とても気持ちよくオフを過ごしました(笑)。チームの人たちや、監督、コーチングスタッフのみなさんと食事をして、その後には選手たちどうしで好きに過ごしました。オフはほどほどに体を動かしていました。

2005シーズンでレギュラーを掴みましたが

僕が完璧にレギュラーになったとは思っていません。僕のポジションと決まっているのではないと思います。レギュラーを確保するために、僕もベストを尽くさないとならないでしょう。新しく来た選手やスタメンを狙って努力する選手も多いし、僕がレギュラーだと決まっているとは思いません。監督の要求する事はいろいろあるので、努力します。

ファンの間でも注目しなければならない選手と言われています。

僕が脚光を浴びているんですか(笑)?そのように関心持ってくださっているのはすごくありがたいです。そのように僕を信頼してくれるファンを失望させないようにこれからもっと素晴らしいプレーを見せられるようにもっと努力します。

相対的に観衆の多いチームが羨ましくはないでしょうか?

観衆が少ないことは僕たちのチームの努力が足りないことが大きいですね。監督もホームでの試合をとても重要だと思っています。アウェーはともかく、ホームでは絶対負けてはいけないし意味のない試合をしてはいけないといつも言っています。まず僕たちのチームの過ちだから、選手たちがホームのファンやサポーターたちにとても申し訳なく思っています。来シーズンには変わった姿をお見せ致します。

全北はリーグでは不振でしたが、FAカップでは優勝しました。どういう気持ちでしたか?

本当に嬉しかったんです。僕たちが水原に勝った時は本当に優勝したような騒ぎでした。2000年から勝てなかったんですよ。 サポーターたちもすごく喜んで、僕たちも嬉しかったです。プロで優勝して引退することができる選手があまり多くないと聞きました。僕はすごく早く経験できました。とても気持ち良いですが、リーグ優勝ができなくてちょっと悔しさがあります。それでも僕がプロでタイトルをとれて、引退した後に考えてみれば意味ある一年だったと思います。(FAカップ優勝トロフィー本当にカッコいいでしょう?) ところが、僕は優勝カップをちゃんと見られなかったんです。持ってみたかったんですが、僕のところは通過してしまってちゃんと見られなかったんです。リーグの優勝カップは今年、必ず掴みますよ。

FAカップ決勝の相手が K2のチームなのでちょっと油断した面はありましたか?

K2のチームも上手いですから、絶対油断してはならないと思いました。でも、内心プロチームとだったらもっと盛り上がったかなとも思いました。何年間も負け続けた水原との試合が決勝戦だったら良かったのにとは少し思いました。

多様なポジションをこなせますが、好きなポジションはどこですか?

攻撃的MFは面白いですね。僕が動いて、相手が僕を止めるために動くことになって、守備的MFは反対に僕が相手を止めるためにうごかないとならないからです。たくさん動く選手につくのはストレスがたまります(笑)。

「チェ・カンヒ皇太子」と言われるほど大きな信頼を受けていますが。

今はこれだけできるから、もっとできるようになるという意味で引き立ててくれるのです。監督は選手たちみんなを好きで、みんなが「チェ・カンヒ皇太子」です。すべて信じてくれて、もっとうまくさせて、実力を発揮できるようにしてくれます。(監督の記事を見ましたか?(※Kリーグ公式で監督インタビューがあり、そこで鄭鐘寛を褒めていました))はい、見ました。嬉しいですよ。監督が僕をあれほど考えてくださるから期待に応じなければならないですし、失望させないようにもっと努力します。僕の部屋に一度来て話をしたんですが、「お前のポジションに選手がたくさん来た。しっかりしなくちゃいけない。下手するとポジションをとられるぞ」とこんな風に言います。いつも緊張します。

監督と個人面談もするんですか?

はい。監督は選手たちとよく1対1で話をしてくれます。監督が選手の不足な点も指摘したりとか、よく話をします。

監督はどんな感じですか?

外では冗談もよく言うのに、ピッチでは無条件120%のプレーを求めます。のろのろやるのはいやがります。

監督が試合の前に特別に注文することはありますか?

いつも相手にやさしいパスがいいパスだと言います。基本が重要だといつも言われています。

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つづく。

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5年かよ。

尹晶煥がペンミやったそうです。

移籍はするみたいですね。しかし5年も鳥栖(おっと特定してないや)日本にいるつもりなのか。
つか5年後も現役か、さすがだ。
悔いのない選手生活送ってください。あなたはそれが出来る人だから。
そして、たまに、たまーーーにでいいからソンジェの事を思い出してね(笑)。

イクヲと合うのかがかなり心配なんですが。

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まったく読めません。

ちょっとミルトンのことが気になって、ネットであさってたら、こんなん見つけました。

えーと、何語?スペイン語?

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崔真[吉吉]1面

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めったにないので貼ってみる。

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ストライカーエドミルソン「全北が懐かしくて韓国にまた来た」4

これで終わり。長かった…。

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- Kリーグでプレーしていて、韓国のDFの特徴はなんだと思うか?韓国のDFの長短所は何か?

長所は、彼らの粘り強さだ。彼らは一度ミスをしても頭を下げないで、ミスを取り戻すためもっと走って努力するところがいい。
一方不足な部分は試合に対する集中力だ。これは韓国のDFだけでなく、世界的にすべて言えるが、 瞬間的に集中力がきれて間違いをする場合が多い。守備は集中力が一番重要だ。

- 韓国のFWはブラジルのFWに比べると鋭さが足りない気がする、 ベテランストライカーの助言は?

韓国のFW, 特に若い選手は自信がないようだ。自信を持ってプレーしなければならないのに、シュートをする前に「シュートが決められない」と思っているようだ。

これは韓国の文化とも関係しそうだ。幼い頃から 「私がこれを入れることができなければ酷い目に会う」と心配しながら成長して来たことが問題だと思う。幼い時から自信を持たせなければならないのに、その反対に負担ばかりかける。負担になることがあれば自信がなくなることは当然だ。

このごろ韓国のFWの技術的な部分は確かに良くなっている。 これからは誰が何と言っても自信を持ってプレーすることができる精神力が必要だ。

- 後期リーグを控えて監督が新たに赴任した、崔監督がエドミルソン選手に願う役目は何か?

監督が私をまた呼んでくれたことに対して感謝する。
監督が、私がチーム戦力として必要だから呼んでくれて、私を個人的に知りたくて呼んだ訳ではないだろうし(笑)。
直接、私に何か言ったりはしないが、私の力が必要だから呼んだと思うので、プロだから期待に答えなくてはならない。

前期リーグでチームが成績が良くなかったからチームが要求する役目に充実に従って、後期リーグでは良い成果を得ることができるようにがんばりたい。

- 1年開いた Kリーグ復帰だが、個人的な目標や覚悟を教えて欲しい。

例えば、人がとてものどが渇いた時冷たい水を一度に飲めばむせる。少しずつ少しずつ飲まなければならない。
私も今ゴールに非常に飢えていてるが、それでも最初から無理をしたらむせてしまうだろう。時間を持ってゆっくりペースを引き上げるつもりだ。
個人的には以前に私が全北でしたくらい活躍できたら良いと思う。またできると信じている。 私が私の能力を信じることが一番重要だ。体の具合も回復したから、もうちょっと補強して試合勘を取り戻したら、以前の姿をお見せできるでしょう。

チームに役に立つ選手になりたくて、私によって自然にチームももっと良い成績を得ることができるように努力する。


- ありがとう。Kリーグでまた以前のような活躍を見せてくれることができるように祈る。


エドミルソン Kリーグでの記録

2002シーズン 27試合出場14ゴール-3アシスト
2003シーズン 39試合出場17ゴール-14アシスト
2004シーズン 1試合出場

2002シーズン得点王
2003シーズンアシスト王
2003シーズンFAカップ MVP
2004シーズンスーパーカップ MVP
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正直、エディが本当に以前のようなプレーができるのかはかなり疑問に思ってます。
でも、エディが復活するっていう夢くらいは見たい。
それくらい全北サポにとってエディは大切な人だから。ろくな事のない今シーズン、ひとつくらい奇跡が起きたっていいじゃんね(笑)。

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ストライカーエドミルソン「全北が懐かしくて韓国にまた来た」3

つづき。

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- 2002年 のACWC決勝で全北と対戦し、ゴールしたことが韓国行きのきっかけになった。 その頃全北, 、あるいは韓国サッカーに対する認識はどうだったか?

その頃には率直にアジアサッカーに対しては、プレーしていたサウジの事しか知らなかった。
全北と決勝で対戦し、当時全北にいたブラジル選手たちと試合前にお互いにどんなふうなサッカーするのかなどしばらく話をした。 その時お互いに話したり、私が直接感じたところは、韓国サッカーは技術的な面より体力とスピードを重視してたくさん走るサッカーだということだった。

しかしワールドカップがあり、海外進出する選手たちも多くなり現在韓国サッカーは大きく発展している状況だ。全体的にとても向上したと思う。

- 結果的にACWCによって全北に入団したが、その経過はどうだったのか?

実は、その前から全北を含めた韓国のチームの話はあったが、その時はアルヒラルで充実していると思っていた。 ところが偶然にACWC決勝で全北と対戦し、試合前にもエージェントが来て韓国に行く話をし、そのとき私は「門は開かれている」と肯定的に受け入れた。
その頃、アルヒラルとの契約が終わる頃で、再契約の話も出ていたが、韓国でワールドカップが開かれるため、韓国サッカーに対する関心が大きくなっていた。
その時、もし韓国へ行けば、良い競技場で多くのサポーターの前で試合ができると思った。ワールドカップを準備しながら発展しているところなので、一度挑戦してみたいと思った。

- 先ほども話したが、 Kリーグはとても荒いながらもスピードがある。 テクニシャンが生き残りずらいのに、エドミルソン選手は、意外に早く適応したが?

他の外国人選手たちに比べれば早く適応して成功したように見えるが、私も初めは大変だった。しかし長年の選手生活をしながら、いつも困難に打ち勝ってきたので、自信はあった。
プロデビューした時も難しい難関があったが耐えたし、そんな経験を思い出しながら耐えることができた。 韓国で生活しながら体力的な部分も気を使ったし、韓国選手ががんばれば私もそれ以上にがんばって練習ながら努力した。
選手生活で悟ったことは、「何もせずに得ることは何もない」ということだった。

自分が努力しただけ結果が出るといつも思っている。 最初の3試合はとても難しかったし、適応しづらいと思った。しかし韓国サッカーに合わせて行こうと努力したし、 個人的にテクニックでは自信があったからフィジカルなどをたくさん気を使った。


- 韓国へ来たシーズンに得点王を獲得した。決して簡単ではないのに。

選手たちは自分の目標を立ててシーズンを始める。私は韓国へ来て、まずチームを優勝に導くということが一番の目標だった。だから得点王を獲得したことは実感が沸かなかった。
実は最後の2試合を残し、ウ・ソンヨンが私より 1-2ゴール多い状況で、私が最後の2試合で 3ゴールをあげ、得点王をとれた。その時に初めて得点王に対する実感が沸いた(笑)。 もちろん得点王が確定した時は言葉で表現できないほど嬉しかったが、その喜びは短かったし、元々の目標だったチームの優勝を果たせずにとても残念だったことを覚えている。

- 2003年マグノ選手とツートップで成し遂げた業績は Kリーグ歴代最高ツートップの一つだと評価された。

普通初めて一緒にプレーする時は、お互いによく分からないから問題が起きやすいのに、マグノとは最初から息が合う方だった。
私が 1ゴールを入れればマグノがその次の試合でゴールを入れて、という風にお互いにゴールを重ねた。そうするうちに私が3,4試合出場できないことがあり、 その間にマグノがたくさんゴールした。
それで復帰した後はアシストに徹しようと思った。実は得点王に対する欲がなくはなかったが譲歩をした(笑)。 そしてシーズン中盤を越えてからはお互いにとても理解しあえるようになった。
私がボールを持っていれば、マグノはあらかじめスペースに跳びこんで、それで私がそこにパスして、マグノは私のパスルートを読んで正確に受ける…そんなふうによく呼吸があった。
結局マグノが惜しくも得点王は逃したが、私はマグノをアシストに重点を置いていたら、アシスト王まで獲得できた(笑) 。とにかくマグノは完璧だったし、お互いの呼吸もあっていた。

- マグノ選手はゴール欲が非常に強い選手だったが、それによってエドミルソン選手が損害を被った部分も確かにあると思うが。

率直に言ってそんなふうに考えたこともあったりする。しかしマグノのプレースタイルが元々そうだから。私にパスするのが良い状況でもそのまま(マグノが)シュートをする場合もあったし、そんな時は「私にパスしたらもっと良かったのに」と思ったりもしたが、そんな部分も理解した。
もしその時私もマグノのように自分のゴールに執着したら、チームに良くない影響を及ぼしたからだ。個人の欲によって問題が起きればチーム全体で見た時も良くなくて、だから笑いながらパスを出した。 マグノとは個人的に本当に親しく過ごしたし、 きれいごとではなく心より彼を助けたから二人とも良い成績を治めることができた。

- マグノ-ポティなどブラジル選手たちの兄の役目を頼もしくしたし、またチーム内の若い選手たちにも身体管理などでも多くの影響を及ぼしたと聞いた。

自分が若かった頃、私が好きだった選手や同じチームでプレーしている選手たちを見ながら彼らの長所を習得するために努力した。特に新しいチームに行った時は必要だった。
今では、いつのまにか私を見て若い選手たちが学ぶ状況になったが、すべての選手たちが長短所を持っている。遠くばかりではなく、自分のすぐ側にいる選手たちの長所を学んで活用することができたら若い選手たちはもっと大きく成長することができるでしょう。私に対しても学ぶ点があったら学ばなければならない。早くからこんなことをしていれば、良い選手になれるでしょう。

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あと一回。

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ストライカーエドミルソン「全北が懐かしくて韓国にまた来た」2

ここからインタビュー。

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- 全北への復帰おめでとう。いまの気持ちは?

リハビリしながらも早くここへ来たいという気持ちが大きかった。惜しくも合流が少し遅れたことで胸が痛むが、それでもここに来てチームに少しでも助けになることができるということが嬉しい。私がチームの助けになって、 それによってチームが発展することができたらもっと良い(笑)。

- 2004シーズン初盤に大きな怪我をして、 1年間リハビリに沒頭した。その期間はどんな気持ちだったか?

選手生活の中でこんなに大きい負傷は初めてだった。
1月位でリハビリが終わると思ったが、長い間サッカーができなくて本当に大変だった。幸いそばで家族がたくさん手伝ってくれたからがんばれた。

ポルトガルでずっとリハビリをしながら、インターネットなどで全北を見守ったが、それでまた心が痛かった。今シーズンはチームの成績が良くなかったし、去年も優勝することができる良い機会を逃したことを見ながら、チームの力になれなかったことがとても残念だった。

- 負傷はアキレス腱で、アルパイ(当時仁川)のタックルによるものだったが、当時の状況は?

左側アキレス腱負傷だった。
プレーする途中に後から強くタックルが入ってきて、それを感じた瞬間倒れていた。そのときペナルティーエリア近くだったから夢中でファウルをくれとジェスチャーをしたが、その後に起きて地に足を踏み出すのが大変だった。

- ベテランで、大きい負傷だったので再起可否も不透明な状態だった。そんな部分に対する負担が大きかったようだが。

私も初めてけがをした時そんな心配をたくさんすることはした。とはいえ、勝ち抜けることができるという考えは続いた。もしそんな考えがなかったら諦めてしまうかもしれなかった。 1年間のリハビリというのが短い期間でもなかったし、 とても大変な時が多かったからだ。

その時は精神的にとても疲れている状況だったが、他の選手はメンタル的な治療も受けたりするが、私は家族たちがそばで励ましてくれたし、 私自身も良い事だけ考えてリハビリに集中したからまたここへ来ることができた。

リハビリは選手たちには一番苦しい時間だが、家族の力で耐えることができたし、私の人生でサッカーがとても重要で大事だからサッカーを再びすると決めて生活した。

- 去る 6月に全北で 3週間テストをしたが、当時にはその時は期待に応えることができなかったし、また怪我をして、復帰が大変なことと見込まれたが。

その時は 1年間あまりずっとリハビリばかりしていて、負傷後初めて試合に出場した。
二軍の試合に出場したが、ほとんど 90分出場した。それが無理だったのか、試合が終わる頃に少し痛みを感じた。

試合が終わった後全州の病院で検査を受けたが、 少し深刻だという診断を受けた。
その診断を聞いて本当に心配になったし、結局ポルトガルにまた帰って手術をしてくれた医師と会って話した。 ところが幸いにも深刻な状況ではなかったし、韓国の病院でちょっとオーバーに言われたのだった。

ポルトガルの医師はリハビリして久しぶりに試合に出る状況でアキレス腱に少しの痛みを感じたことだけであり、心配なしに練習をしても良いという話をしてくれた。その言葉を聞いて安心した。

実はその時は「もう全北への門は閉まったな」と思ったが、全北球団は私を信じてくれたし、 団長や監督がもう一度呼んでくれてとても感謝している。

- 実は韓国で走ったことは プレーしたのは2年に過ぎない。長い間ではないのに、韓国と全北に対する愛情が特別なようだが。

まずはチームになじんだ。またサポーターが私にとても大きなサポートをしてくれた。2年間の全北でのプレーした中で、サポーターは私のとても大きい力になったし、彼らのため少しでも多くがんばった。

2003年 FAカップで優勝した時もサポーターとともにその喜びを分かち合った。優勝カップを持って一緒に喜んで…
後で仲間たちがすべてピッチを去った後もサポーターにもう一度拍手をしようと思ってまた彼らのところに行ったし、 サポーターも帰らないで「エディ」と呼びながら一緒に喜んでくれた。

そして大変だったリハビリ中にも顔も知らないファンがたくさんのメールを送ってくれた。
「また全北へ来てほしい」「早く怪我を治して来て欲しい」などのメッセージを通じて私に力をくれたし、 そんな気持ちが本当にたくさん積もった。その点に対してサポーターたちにとても感謝している。

だから、負傷がほとんど癒えた頃に他のチームから直間接的にオファーがあっても、全北へ行かなければならないと心に決めた。

- ブラジル生まれだが、ポルトガル国籍を取得した。どんな特別な理由があったか?

他に理由はなくて妻がポルトガル人で、子供達もそこで生まれたからだ。早くからポルトガルで選手生活をしたし、 そこで妻に出会い、子供達が生まれて自然に取得した。 しかしブラジル国籍も持っているし、今もブラジルによく遊びに行ったりする。

- ポルトガルのブラガで長くプレーし、その後サウジアラビアのアルヒラルに移籍した。実はヨーロッパからアジアに来ることが易しくない決心だったようだ。

実はその時ポルトガルからサウジに行くことを決める事はたやすい事ではなかった。
その頃ブラガでもコンディションが良く、監督との関係も良かった。一言ですべての面が良かった状況だったからだ。それでも私は挑戦が前にあれば争って一度挑戦して見たがる性格だったし、 当時そんな心境だった。

また一つは冷静に家族を考えて、 経済的なことも考えなければならなかった。
その部分も決める時大きい影響を及ぼした。ブラガでは私がしている役目と活躍位の待遇を受けることができなかった。 チームで私のプレーに対して褒めてくれたりしたが待遇はあまりよくなかったし、サウジのアルヒラルは活躍に見合った待遇を約束した。

つづく。

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疲れた…でもサポがエディを想うように、エディがサポを想っていてくれて嬉しい。
04年のスーパーカップのときも、最後までサポと一緒に跳ねてたんだよね、エディ。

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ストライカーエドミルソン「全北が懐かしくて韓国にまた来た」1

KFAエディのインタビューがあったので。長いです。まだ1です。
引用なんでイタリックにしようかと思ったんですが、イタリックにすると読みにくいんでやめました。
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全北現代を代表するストライカーエドミルソン(37歳)が帰って来た。

2002年全北に入団し、 27試合に出場。14ゴール3アシストを記録して Kリーグ得点王に輝いたエドミルソンは翌年には 39試合に出場して 17ゴール14アシストで ‘10-10クラブ’ 加入とともにアシスト王を獲得し、Kリーグ最高ストライカーであることを証明した。

Kリーグ 22年の歴史で得点王とアシスト王の両方を獲得した選手は崔相国(浦鉄)、尹相[吉吉](LG)の二人に過ぎない状況で外国人ストライカーとしてデビュー初年と翌年にかけてこのような大記録を樹立したことは驚くべきことだ。

特に 2003年のマグノ(27ゴール8アシスト)とのツートップは Kリーグの歴史に残るツートップだというのがすべての人々の評価であり、 彼らは 2003年に 44ゴール22アシストの最高の火力を誇る記録を残した。

しかも、ベテランエドミルソンの誠実さ、プロ意識の徹底は試合内外で同僚選手にも大きな影響を及ぼしたし、コーチングスタッフとサポーターにも大きい愛を受けることができた要因だ。

特に全北サポーターはエドミルソンを愛称である 「エディ」と呼んで、惜しみない声援を送り、 これはエドミルソンにとって大きな力になった。

しかし運命の 2004年4月 3日仁川とのリーグ開幕戦でエドミルソンは致命的なアキレス腱の負傷を負って、スタジアムを去らなけれならなかった。仁川のDFアルパイが後から強いタックルをして、エドミルソンの左足アキレス腱を破壊した。

結局エドミルソンは 36歳の年で先の見えないリハビリに沒頭しなければならなかったし、その期間はおおよそ 1年を費やした。30代中盤を越した年に 1年余間のリハビリは大変なことであった。

ところがエドミルソンはあきらめなかったし、結局 2005年後半期に全北に帰って来ることができた。
ポルトガルでのリハビリ期間の中にもインターネットなどでいつも全北の情報を得ていたという彼はリハビリ期間の間に全北サポーターが送った多くの激励メールを忘れることができないと,、その間全北サポーターとの積もった情けのため全北に必ず帰って来たかったという話を忘れなかった。

まだコンディションが 100%ではないが、徐徐に正常のコンディションに到逹していると明らかにしたエドミルソンは以前の姿をファンにまた見せてくれるという約束とともにチームが後期リーグで再跳躍することができるように貢献したいと Kリーグ復帰に対する覚悟を明らかにした。

次は全北宿舎であったのエドミルソンのインタビュー。

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ちょっと切ります。

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続けてポティの話。

サポに聞いた話なので、まあ話半分で聞いて下さい。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/10/29/20041029000062.html

帰化がどーのとか↑こーんな話がでてるポティ、この上に書いてある話とはかなり違うんですが、
もともと全北のスカウト(いるんか?)だかは違う選手を獲得しにブラジルまで行ったんだそうです。
そこにポティが「俺は韓国に行きたい!」と猛烈アプローチをかけて、それでかなにかは分りません
が全北が獲得に至ったらしいです。

正直、「うっそだあ〜」とか思いました。すみません。

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